2022.05.31

【対談小説 第2話 その2】思考のメカニズムと感情のメカニズムが両方とも『いいね』となるのがWell-being(ウェルビーイング)

店内

生きる目的を見出す。お金をその実現のための手段として使う。生きる目的が見つけられれば、ココロの安定が手に入るーー。亀ヶ谷氏はそんな話を語ってくれた。話は、ひょんな質問から脳科学が解き明かした脳のメカニズムの話題に移る。亀ヶ谷氏はSHD研究所を設立し、学際的な観点からWell-beingを研究してきた。そんな氏に、人の脳がどういうふうに幸せを感じているのか、脳科学の見地から教えてもらった。
前回記事⇒年収1億円でもココロの安定なんて得られない。自分のココロに目を向けない限り。


野菜の天ぷら、鉄板牛ステーキ、ふろふき大根、ハイボールとビールを1杯ずつ頼んだ。

「フリーランスで働いている人たちを対象にした調査で、年収200万円台の方も多いそうです。でも、年収は低くても人生の満足度は高いという調査結果もあるようなんです」

「基本的には、何に意識を向けるのかの話なんじゃないかな。意識を向ける方向性が他の人と比較するほうにいくと、客観的に収入がいくらという部分で判断して幸せか不幸せかを考えるけれど、これは思考のメカニズムによる比較なんだよね。もうひとつ、感情のメカニズムによる『感じる世界』というのがあってね。今現在・今この瞬間に、自分はどうなのかを見れば、着るものもある・食べるものもある・健康で・友達もいる、ならば自分には何が足りていないのか、『これだけで充分幸せじゃないの?』となるよね。結局、どのメカニズムで幸せを感じているかの違いだと思う。これ自体はどちらが正しいとかではない」

ハイボールとビールが運ばれてきて、テーブルに置かれた。
亀ヶ谷氏がビールグラスを取り上げながら続ける。

「思考のメカニズムで他と比べた場合にも、どことどこを比較するかによって相対というものは判断が変わってくる。過去の自分と比べてみるとか、比べ方は色々あるけれど、すべて相対。相対の範疇でしか幸せを判断できないと苦しみを生む。もうひとつの見方である、今ここ・この瞬間を感じるという世界観のウェイトを大きくしていかないと、幸せに関してのバランス感覚はよくないんじゃないかな」

「感情のメカニズムや思考のメカニズムという言葉が出てきましたが、脳科学的な話ですよね。そのあたり、もう少し詳しく教えてもらえませんか?」

ハイボールに手を伸ばしながら尋ねた。

ハイボール

「脳の中では、思考のメカニズム、感情のメカニズム、意識のメカニズムという3つのメカニズムが同時に動いているんだ。まず、意識のメカニズムが、根本的に何に意識を向けるのかを、無意識的に支配している。それによって、自分が見たいものしか見れていないという現実がある」

亀ヶ谷氏が脳科学の知見を語り始めた。この話をするときの亀ヶ谷氏は楽しそうだ。

「意識のメカニズムには指向性があって、見たいところに勝手にスポットライトが当てられる。そのスポットライトを当てられたものに対して感情のメカニズムと思考のメカニズムが活動を始める。感情のメカニズムは、スポットライト(意識)が当てられたものに瞬間的に反応として起きてくる。これはどちらかというと、全体を感じますという世界だね。自分と他者という切り分けはないし、視覚・聴覚といった感覚野から色々なものが送られてくるけれどすべてがごちゃ混ぜ状態で、全体として好きか嫌いかを判断する。そこには言葉もなければ、自分と他者といった切り分けもない」

みそだれのかかったふろふき大根が運ばれてきた。
調理場で長い間この時を待っていたと言わんばかりの熟とした感じがある。

ふろふき大根

「つまり感情のメカニズムの段階では、自分も幸せになりたいと思っているんだけど、目の前に映っている人たちにも笑顔でいてもらわないと自分も不幸せになってしまう。切っても切れない一緒のものなんだという世界観が、ここまでの世界観。その後、脳のメカニズムとして大脳皮質というところに信号が送られると、思考のメカニズムがスタートし、そこで初めて、僕らが意識してコントロールできる世界観になってくる。思考のメカニズムは認知というプロセスを経て外の世界を理解する。認知によって、さきほどの『自分も他者も切り分けられていない感情の世界』を認知しようとすると、まずどちらかだけの側面を切り取るしかないことになるんだ」

「どちらかだけの側面を切り取る、ですか?」

「例えば、これは『ビールグラスだ』となったら、『ガラス』という考え方は思い浮かばずに、ビールグラスか、ビールグラス以外という、ふたつに切り分けるような認知のメカニズムが、高速で何回も繰り返してくる。思考のメカニズムはそういうふうになっているんだよね。だから、自分を認知したら自分以外、というふうにふたつに分けることになる」

亀ヶ谷氏は目の前にあるビールグラスを手に持って、ゆらゆらと揺らしながらそう言った。

「この思考のメカニズムが何を発生させるかというと、二項対立。物事を善と悪に切り分ける、自分と他者に切り分ける、日本と日本以外に切り分ける。それはすべて思考のメカニズムが生み出している」

予め決められた正解にいかに早く到達できるかという訓練を徹底的に義務教育で積んできた日本人は、二項対立に陥りやすいような気がする。解釈の多様性を楽しむはずの文学作品でさえ四択問題に矮小化されてしまうのに見慣れているのだから、「正解か、正解以外か」という思考に知らずに陥っていることは当然あるだろう。

「人間の脳はずっと、思考のメカニズムと感情のメカニズムが両方とも『いいね』となる状態を求めているというのがベースの考え方としてあって、その両方が揃った状態がWell-being(ウェルビーイング)という状態なんだよね」

ここでWell-being(ウェルビーイング)という言葉が出た。
亀ヶ谷氏が代表を務めるSHD社は、このWell-beingや健幸度®というものをテーマに事業を営んでいる。

取り分けたふろふき大根をかじりながら次の質問をしようと思った時、亀ヶ谷氏のスマホが鳴った。
亀ヶ谷氏は「ちょっとごめんね」と立ち上がると、一度店の外に出ていった。
ハイボールグラスから水滴が滴り落ちていく。

続く…