2022.05.07

【対談小説 第1話 その3】病を治すことを最優先すれば人間の元に戻ろうとする力はどこまでも発揮される

夜の路地

働き尽くめの日々の中、腰椎ヘルニアを発症し、2カ月間入院治療を試みた亀ヶ谷氏。医師から、切らずに治す温存療法を勧められ、回復。この経験を糧に何を思い、世の中に何を投げかけようとしているのかを、引き続き、5月のまだ寒いある金曜日の夜に聞いた。
前回記事⇒腰椎ヘルニアを切らずに治した経験から得た深い実感(クリックで記事へ)


店内は話し声や笑い声、注文する声が途絶えず賑わっているが、どこかけだるい空気を含んでいる。
一週間がやっと終わり週末まで泳ぎ切った疲労感と安堵感がない交ぜになったような空気のようでもあり、昨今のニュースを賑わせている何となく先の見えない閉塞感に対する辟易とした本音が漏れ聞こえてくるようでもある。

店内風景

そんなことをぼんやり感じながら出し巻き卵を食べていると、亀ヶ谷氏が戻ってきた。

「どこまで話したっけ?」

「だいたい2カ月くらい温泉で温存療法をやっていたら良くなったというところまでですね」

「そうだったね。温存療法を始めて1カ月が過ぎたあたりから、ふと気づくと痛みがだいぶ治まっていて、歩けるようになってきたんだ。最後の半月くらいはほとんど治っていたが、用心をして完全に治そうと思って、病院に留まっていたんだよね。『ただ寝ているだけでここまで完全に綺麗に痛くなくなるというのがあるんだな』と思ったね」

おかわりのビールが運ばれてきて、亀ヶ谷氏の前に置かれる。

「その後は退院して仕事に復帰したんですか?」

「そう。ただ、もう現場で働くのは無理だからと、仕事の内容がお店の現場の店長から、店舗開発といって新規店舗の出店に変わったんだけどね」

「身体が良くなって働けるように回復して本当に良かったですね」

「そうだね。人間の元に戻ろうとする力、カラダが本来持っている自然治癒力は、あんなにひどい病気でもこれだけ治してしまう。人間のカラダはすごい力を持っているんだということを体感しているよ。歩けなかったのが歩けるようになったし、ほぼ痛みもなくなっているからね」

亀ヶ谷氏はそういって、皿に残っていた串焼きを口に運んだ。

近くのテーブルからは、新卒と思われる4人組が、上司の悪口で盛り上がっている。

亀ヶ谷氏が居住まいを正して言った。

「医者の祖と言われているヒポクラテスが『人間の中には100人の名医がいる』と言っているように、人間が本来持っている自然治癒力は本当に大きいと知るべきだと思う。病気になる予兆になるべく早く気付いて、それに対して自分の自然治癒力がちゃんと発揮される状況にしていく。僕の場合はそれがストレスを遠ざけることだった。1回仕事から離れて遠ざけることができたのは恵まれていたと思うけど、それができたからこそ腰椎ヘルニアを克服して、カラダを元の状態に戻せた。ただ、もっと早めに『あ、ちょっとストレス溜めすぎだな』と気付いていれば、入院する前に対応することができて、2カ月半も入院せずに済んだだろうと思う。自分の身体の変化になるべく早く気付くことがとても重要だなと思う」

ハイボールを飲みながら、黙ってうなずいた。
身体の変化に気付く。
大変なことになる前に早めに対応する。
忙しい現代人にとっては、それがなかなか出来ない人もいるかもしれない。

「実はうちの母も十数年前に頸椎ヘルニアをやってるんだよね。最初、西洋医学のお医者さんに3人くらい診てもらったんだけど、みなさん口を揃えて『切らなきゃだめだよ。次転んだりして手でも着いたら首に振動がいくからそのまま全身不随になっちゃう可能性があるよ』という話をされたんだけど、母は『首なので手術ミスでごめんなさいなんてことは絶対嫌だから切りたくない』と言っていて」

「確かに首は怖いですよね。それから、どうなったんですか?」

「東洋医学の医師を紹介されて、診てもらった。最初の診察の時は2時間半お説教されて帰ってきたんだよ。『病気を治したいと思ってここへきているのに、なんでそんな重たい荷物を持って来ているのか。仕事は続けているのか。病気を治したいと思うなら、病気を治すことを優先順位の一番にしてもらわないと、治るものも治らない』ということを言われたらしい。当時の母は子育ての都合もあったり、父が社長をやっていたので社長夫人としてやらないといけない会社の仕事もたくさんあったり、自分の身体のことは優先順位の最後のほうになっていて、病気を治すことを優先順位の一番にできない理由がいくらでもあったんだ」

亀ヶ谷氏はここで一息ついて、ビールを飲んだ。
つられてハイボールに口をつける。
串焼きも出し巻き卵も二人で食べて、今は皿の上に串と、大根おろしのわずかな残りが乗っているだけになった。

「でも結局母は、『会社にも迷惑かけるけどその分しっかり治すから』と仕事の量を減らし、重い荷物を持つのもやめて、温泉に入って血行を良くしながら、半年かけて治療して、治したんだよね」

黙ってうなずいた。

このとき、デザートプリンが運ばれてきた。
このプリンも大将が手作りしているそうだ。
スプーンを入れても崩れない程よい硬さで、口に含むとカラメルソースのちょうどいい苦みが広がる。
大人が食べて楽しめる味わいだ。

プリン

亀ヶ谷氏がさらに続ける。

「『物事の優先順位ってあるな』と思うんだ。僕らは普段自分で勝手に、あれはできない・これはできないと決めてしまっているけど、カラダに異常がおきたときは、下手に我慢せず、病人に徹するほうがいい。病人には病人の役割みたいなのがあって、周りの人に迷惑をかける。その代わり100%病気を治すことに注力する。そういう助け合いみたいなものが必要なんじゃないかと」

近くのテーブルから相変わらず上司の悪口が聞こえてくる。

一人でカウンターに座っていた男性は席を立って黙って会計をしている。
「美味しかったよ。ご馳走様」と不愛想に言うと、引き戸を開けて出ていった。

最初に来た二人組の常連はいつの間にかいなくなっていた。

上司と部下と思われる三人組は、不思議なくらいリラックスして飲んでいる。

「『病気はお医者さんが治してくれるもの』ではなく、『ひとりひとりの心がけと周りの人との協力関係で元に戻していくもの』という、互助や共助の世界観が職場でも社会でも機能するといいんじゃないかな。病気になるまで散々酷使しておいて、病気になってからお医者さんだけが治す・本人は直そうとしてないという状態ではなく、もう少し早い段階で各自が気づきストレスを避けて元の状態に戻していくことを、お互いがお互い様の精神でケアしていくようになると、医療費も減るのかなと思うんだ」

亀ヶ谷氏はそこまで一息に言うと、グッとビールを飲み干して、「そろそろ出ようか」と言った。

互助。共助。お互い様。亀ヶ谷氏はそんな単語を口にした。
そういうものがもっと機能すれば、店内を漂っている「先の見えない閉塞感に対する辟易とした本音」のようなけだるさも少しは晴れるだろうか。
先の見えない閉塞感に対する不安は、共に歩んでいける仲間がいることで緩和できる気もする。

そんなことを考えながら会計を済ませて、店の外に出た。
空気はまだ冷たいが空は晴れ、路地の向こうのほうの空に月が見える。
吹いてくる風が飲んだ後の身体に心地いい。

「うちの祖母も、大昔、当時不治の病とされていた結核になったことがある。その時、使用人もいるなかで自分がお金の管理をしていないと難しいような小さいお店の切り盛りをしていたんだ」

駅に向かって歩く道の途中、亀ヶ谷氏が話し出した。

「『その切り盛りを全部任せるから、その代わり私は床に臥せる。一週間だけ時間を頂戴』と言って、一週間ひたすら寝て結核を治したと言っていたんだよね。それって、普通考えたら無理なことだったと思うんだよ。『お金の勘定なんかやったことないです』『これだけのお金を任されちゃうと不安です』って、任されたほうにもできない理由はたくさんあるし。でも、覚悟を決めて、周りの協力を仰いで、自分は病人に徹する。任されたほうも頑張って働くことで成長する。そんなことがあったと思うんだ」

角をひとつ曲がると、さっきまでの路地裏の静かさとは別世界のような喧騒に囲まれた。
それでも亀ヶ谷氏は続ける。

「病気や身体の不調という物自体を、何かを教えてくれるシグナルと捉えることもできるのかなと。自分の考え方を改める、優先順位を切り替える、そのためのいいきっかけになると捉えることもできるかもしれないと思うんだよ」

そういって亀ヶ谷氏はひとつ息を吐いて「また飲みましょう」と握手をしてくれて、改札のほうに歩き出した。
もう一度見上げた空の向こうのほうで、月は微動だにせず街と人を見守っている。

(【対談小説 第1話】完)